プラグカブリオレ!!buchiblog

ザクとは違うのだよザクとは!

“死んじゃダメだね”――『あの花』が教えてくれた静かな祈り

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を、ようやく観終えた。


最初は正直、みんなの「後悔」があまりよくわからなかった。

ゆきあつも、じんたんも、めんまも。

それぞれの抱えてるものが、どこか遠くに感じられていた。


でも、物語が進んで、泣いて、

ようやく少しだけ分かった気がする。


それは、「あの日、ちゃんと気持ちを伝えられなかったこと」――

そして、「もう二度と伝えられない場所に行ってしまったこと」への、

どうしようもない痛みだったんだ。


「死んじゃダメだね」

それだけは強く思った。

たとえ生きてる中でつらいことがあっても、

死んでしまったら、もうなにもできなくなる。

奇跡も、謝罪も、再会も、届かなくなる。


『あの花』では、めんまが幽霊として現れて、

最後にはみんなの前に姿を現し、救いをもたらす。

だけどその奇跡が、どこかご都合主義に感じられた部分もあった。

 

「なぜ、奇跡が起きたのか」

「どうして“死者”が救いの鍵になるのか」

 

そこにもう一声、説明や納得が欲しいと思った自分がいた。

でも、同時にこうも思う。

奇跡って、本当は――

「ちっちゃな生きている者の願い」からしか生まれないんじゃないかって。

誰かを救いたい。

もう一度、ちゃんと伝えたい。

その小さな想いが積み重なって、進もうとした先に、

はじめて“奇跡”は生まれるのだと信じたい。


だから、死んだめんまとお母さんの“願い”だけで世界が動いたように見えるラストには、

どこか釈然としない部分が残った。

でもきっとそれは、作者が「みんなが救われる未来」を信じて描いた奇跡だったのだと思う。


納得はしきれなくても、泣けた。

誰もが抱えていた、届かなかった想い。

そのひとつひとつが、涙に変わって心に沁みた。


だからこれは、とても美しい物語だったと思う。


超平和バスターズは、ずっと仲良しだよ”その言葉を、心のどこかで信じられる夜であってほしい。