『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を、ようやく観終えた。
最初は正直、みんなの「後悔」があまりよくわからなかった。
ゆきあつも、じんたんも、めんまも。
それぞれの抱えてるものが、どこか遠くに感じられていた。
でも、物語が進んで、泣いて、
ようやく少しだけ分かった気がする。
それは、「あの日、ちゃんと気持ちを伝えられなかったこと」――
そして、「もう二度と伝えられない場所に行ってしまったこと」への、
どうしようもない痛みだったんだ。
「死んじゃダメだね」
それだけは強く思った。
たとえ生きてる中でつらいことがあっても、
死んでしまったら、もうなにもできなくなる。
奇跡も、謝罪も、再会も、届かなくなる。
『あの花』では、めんまが幽霊として現れて、
最後にはみんなの前に姿を現し、救いをもたらす。
だけどその奇跡が、どこかご都合主義に感じられた部分もあった。
「なぜ、奇跡が起きたのか」
「どうして“死者”が救いの鍵になるのか」
そこにもう一声、説明や納得が欲しいと思った自分がいた。
でも、同時にこうも思う。
奇跡って、本当は――
「ちっちゃな生きている者の願い」からしか生まれないんじゃないかって。
誰かを救いたい。
もう一度、ちゃんと伝えたい。
その小さな想いが積み重なって、進もうとした先に、
はじめて“奇跡”は生まれるのだと信じたい。
だから、死んだめんまとお母さんの“願い”だけで世界が動いたように見えるラストには、
どこか釈然としない部分が残った。
でもきっとそれは、作者が「みんなが救われる未来」を信じて描いた奇跡だったのだと思う。
納得はしきれなくても、泣けた。
誰もが抱えていた、届かなかった想い。
そのひとつひとつが、涙に変わって心に沁みた。
だからこれは、とても美しい物語だったと思う。
“超平和バスターズは、ずっと仲良しだよ”その言葉を、心のどこかで信じられる夜であってほしい。